昭和41年03月01日  朝の御理解



  私共がこうしておかげを、頂いております。そのおかげ、その元を取って下さった、教祖の神様、そして二代金光様と、もうそれは言うにおよばんことでございますけれども、九州の、道の元を取って下さった、小倉の初代、桂松平大先生、又は、福岡、久留米と、私にとっては善導寺の三井教会、初代教会長と言った様に、初先輩のお徳を受けられた先輩方の御信心を、まあ継承しておるわけでございますが、もう私はこれいつも、これは実感するわけでございますけれども。
 とても私共ぐらいな、者の信心で人が助かるとか、と言う様な事は、実におこがましい限りだと、まぁそれはもうその謙遜じゃありません、本当にそう思うです。私自身私ぐらいな者の信心で、本当に人が助かると、ましては私共、道の教師の資格も持たない私がです、もうそんな、おかげの頂けれるはずがないと、思えば思うほどやはり、初代、先代の霊様、親神様達のお力を頂かなければ出来んと。
 お取り次ぎを頂くと、お取り次ぎを願うとこういうけれども、私はいつもその、あぁ初代の先生方の、霊様の働きにお縋りしてから、こうして御用に使こうて頂いておるわけでございます。これは本当に私の実感なんです。ね、ところがです、私今朝あのいよいよ、三月の月にも入らせて頂いた。今月はいよいよどう言う様な一つ信心で、おかげを頂かせて頂こうかと、椛目の言うならば非常時にあたってです、どういう信心の体制を、を持って、おかげを頂かせて頂こうかと、思わしてもろうてから。
 その事を又あの大神様にも、お願いさして頂きました。そしたらですね私は心眼に頂きますのが皆さんご承知でしょうか、テレビなんかご覧になるからご承知でしょう。東京のあの歌舞伎座、辺りかの中継のお芝居を見ますと、この松はめっていうのがございます、長唄とか常磐津当りの、いわゆる所作ものなんです、の時には必ずバックが松はめなんです。桧のその桧のですね、松の絵をこぉう書いたそれがバックです。もうあそこへいわゆる桧舞台に出ただけで、その役者が一段と上がると言う様な感じが致します。
 バックが素晴らしい、あれは勿論能狂言から、来たものらしいですね。松、松ハメ物とこう申しましょうか、そのもう見事な、いわゆる松ハメなんですね、その舞台のを頂くんです、そして頂きますことがですね、成程バックでは、九州では「三松」と言うて、桂松平先生と、石橋松次郎と、安武松太郎先生と言った様な、大徳の先生方が、期せずしてその松の字を持っておられる名前を持っておられる。ね、
 松平、松次郎、松太郎と、これ「九州の三松」と言うて、非常にその当時九州の御ヒレイをいやが上にも、高められた先生方ばっかりなんです。そういう先生方のですよ、言わば教導ぶりなり、又は御信心なりを残しておられます。それを私共が継承さしてもろうて、また私は私なりに、その信心を元にしての、また大坪総一郎の信心というものがここに打ち立てていかなければ、まぁ私はそんな風に、まぁ感じておるわけでございますが、それとてもですね、確かにそのバックに過ぎないのだと言う事です。
 先生方の信心はねその、またバックが素晴らしいということが有り難いんです、ね、例えば一つの事業をいたしましても、ね、あの何々組とか何々建設の、後ろには何々という財閥がバックだから、と言った様な事になればです、やはりその組なり、店なりが一つの信用を頂くことが出来ますようにです、私共のそのバックが素晴らしいんですよ。と言うてならいちいちバックに、ご迷惑をかけるというわけじゃないです、ね。成程私がバックだと、成程桂松平がバックになるけれども、ね。
 肝心要のこの桧舞台で、踊って踊って踊りぬかせて頂くのは、大坪総一郎他にない。だからいかにそのバックに、私ふさわしいです、ね、そのバックにおかしくない様なです、踊りを踊らせて頂くのは、私であり、又は椛目に御縁を頂いておる皆さんだと、ね。その踊りがいよいよ引き立つために、一つのリズムがいります。言わば長唄にしろト常磐津にしろです、そういう松ハメ物を踊ります時に、皆さんもご承知のように、後ろへずらっとその、三味線が十長なら十長ならぶでしょ。
 初鼓、大鼓、小鼓、大太鼓、小太鼓、ね、笛と言った様にです、それが本当その、バックの前にならんで、伴奏をいたします。ね、そのリズムに乗って踊れ踊れるわけなんです、ですからここんところの、三拍子が、いわゆるそろわなければいけんのです。舞台、舞う者、それにリズムを奏でる者、ね、そこでこれは、私の場合皆さんもご承知のように、もうギリギリの言葉を持ってするならば、いわゆる対和する心なのです、自然が成り行きが、そのままバックなのだ、ね。
  そこで例えばなら私の、中心なら中心、主役なら主役であるところの私が、ならいかに見事に踊りましてもです、ね、総代幹部はじめ皆さんの信心がです、これにやはり会うたところの、信心になっていき、引く手たすたという、そのそれがです、一子乱れず、私は踊って踊りぬかせて頂いて初めて、本当なことが出来るんだという風にまあ思う。成程、じゃそう今日頂いたからというて。
 「あぁそうですか、なら先生方はバックだけの御用しかして下さらんのだ」と、「ならやっぱり踊り踊るのは私なんだ」と、こう頂いたけれども私はやはり思います。やはり先生、あなたがたのお力を頂かなければ、お徳にお縋りしなければ出来る、だんじゃ出来るだんのことではないと言う事を、私は実感致しますけれども、まぁ今日桂松平先生はそういう風に、今日私に言うて下さる。折角それを私に、いよいよ力を下さるために、励まして下さるんだと私は思うのです、ね。
 結局肝心要の踊りを踊るのはお前なんだと「お前以下のここの信者なんだ」と「私達はバックだけだ」と、そのバックが素晴らしい。と言うてもやはりいよいよ足りん時にはです、やっぱりそのバックに、動かさなければならないようにですね、足りないけど、なら商売なり事業なりする場合ですたい、資本がいるときないと言う時にはです、やはりそのバックに、依頼しなければならないようにです、と言うてうんなら、そのそれに依存してはならないということ。
 実力を受けるのは私なんだということ。ね、だから風たら温いことじゃその、私はおかげを頂かれないと思うんです。第一ですねこの自然、いわゆる成り行きの調子に乗って行くというだけでも、でなかったら出来ません。もう暑いからもうちょっとごめんなさい、寒いからそんどんこんて凍えと言った様な事ではです、ね、起きてくる一切の問題がです、そのまま御神意の現れだと、頂かせてもろうて、いわゆる、久留米の初代が仰っておられるようにです、ね、「天地神明に不足を言わず」と。
 成り行きに起きて来る事をです、「もうこれはごめんなさい」と言わずに、それを合掌して受けぬいていくということなんです。そこに奏でられるのが自然の、私は調子であり、一つのリズムだとこう思うのです。ね、ですからこれまではまあ、そう今日頂いてみて、はじめてまた一段、それを深く感じるのでございますけれども、そんならどう言う様なここになら、その舞台演出というものがですたい、そのなされるかと。 昨日は、総代さんの、永瀬さんのお宅での、年に一回の宅祭りでございました。
 いつもの事ながら、本当に真心いっぱいのお祭り、沢山のおぉ参拝者でございました、本当にあの見事なお祭りでございました。そのお祭りを頂かせて頂いてから、後に頂きますその御理解がです、私また帰らせて頂いて、その事をまた一つ一つ、あの自分が皆さんに、伝えさせて頂いたことを、再検討させて頂きました。そして本当に確かに信心はもうここに極まったんだと、昨日長瀬さん所で頂いた御理解をです、もう一遍私共の心に頂かしてもろうて、もうこれ意外にないんだと、言う様な気が致しました。
  私は昨日ここから、田主丸まで約二時間、掛ってから歩かせて頂いた。もう最近毎日この散歩をする事を、まあ修行とさせて頂いておりますから、まあお迎えを頂いたんですけれども、私辞退致しました。そしてまぁ歩かせて頂いたんです、もう本当に、久しぶりって言うか、子供の時以来でございましょう。子供の時さんやさんに歩いて行ってまいったことがありますけれど、何十年ぶりで歩いて、この道を、歩かせて頂いたんです。歩かせて頂く、道々それを感じたんです。
 ちょっとまぁ言うならば、私以外の者が見たら、馬鹿のごとあろうとこう思うんです。折角自動車、迎えの自動車が来とるとに、それを辞退してから、歩いて行かっしゃる、しかも足は、最近もう本当に杖を突かなければ歩かれないくらいに、あったのが段々健康のおかげを頂いて、段々自信が出けてきた。ね、半道そして次にゃ一里歩いてみ、次には一里半に歩いてみろうと、私が最近それを試みておる訳なんでございますけれども、もうそれで明くる日、疲れることもなしに。
 いよいよ自分の何ですかね、健康になっていくとが、自分で日々感じれるくらいなんです。今まであまり弱かったもんですから、ですから皆さんも、やはりひとしおその、心配して下さるんです。「誰か付いて行かんでもいいですか」と言われるくらいですけれどもです、もう私は段々その自信を、頂いていきよる健康になっていきよることを自分で感じる。ね、ですから誰が「自動車に乗って下さい」と言うてもです、乗られないです、そうでしょうが、歩かせて頂くという事がです。
 皆さんが例えばうんなら朝参りなら、まあ昨日永瀬さんを例にとりましたんですけれども、田主丸から長い間もう、お日参りが続いておられます。御造営が始まって此の方というものは、もう朝の御祈念も、とにかくまぁ言うならば一番前、ね、私が御神前の座につく前には、必ずここへ、もうどんなに前の晩が寝とらんでも、出てくるというのを、まあ修行としておられるようです。もっ、ね、ですからそれは私が田主丸まで歩いていくそれと同じようにです、誰が何と言うても、ね。
 自分が健康になっていきよるという事が、感じられるんだもの、自分の体で。永瀬さんは自分の心にです、心が健全になっていかれる。心がいよいよ奇麗になっていかれる、磨き研ぎすまされていく、それは身に付いていきよるのが自分で感じられるんです、確かに。「はぁこういうのが、蓄積されていく時に、必ず先生が言われるお徳というものは、頂けるもんじゃなかろうか」と言う様なものが、段々分かってきた。誰が何と言うたって、そりゃぁ笑うてもいいんです。
 ばかんごたるでしょうこん朝早ようから、毎朝毎朝椛目通いと例えば、それを知らない者は、永瀬さん以外の者は、笑うかも知らんけれども、永瀬さん自身は、丁度私田主丸に、を、そのぉ歩いたまいりましてからです、それを楽しみ、又は有り難いと感じておるそれのようなものだとこう思うのです。ね。昨日はそのあちらでの御理解が、あいよかけよの道ということであった。いわゆる金光教の信心の独壇場と、神様だけが偉いんじゃない。ね、と言うて私共だけじゃどうにも出来るもんじゃあないと、ね。
 神様と氏子とが、一つになって現していく道なのだと。あいよかけよの道とはそういう道なんだと、そのあいよかけよの道というのは、いうなら、どう言う様な道かと、それを私は極言した、と言うのは、「馬鹿と阿呆で道を開いて、開け」とこう仰るが、その馬鹿と阿呆で道を開くという、その道こそが、私はあいよかけよの道だと、皆さんに聞いてもらった。ね、そこから生まれて来るものと言って、久留米の、福岡の、杉山光男さんの例をとりました。
 先日自動車、丁度先日事故があった。相手が悪かった、それこそごうぐられるようにしてから、相当の金額を、を出しなさった。ね、けれどもそういう時にです、「本当にこれによって杉山の家のめぐりのお取り払いを頂くんだから」っと言うて、もうそれこそ有り難く出しておられるです。かというと二・三日前、今度は自分の方が、他の単車からぶつけられなさった。昨日一昨日、業者の所に、修繕に持って行っておられるんですけれども、相当のやはり金額がかかるんです。
 それで先方の人がま、まぁ相手は良かったか悪かったか、言うならまぁ悪かったですね、けれども先方の人はその学生さんじゃった、産業大学なんかにアルバイトを、しながら、親子二人で新聞配りをしながら、その学校行っておるという、まぁ言うなら感心な学生さんであった。だから「どうもすいません」と、ね「私がけれどもこう言う様な状態ですから、月に千五百円づつぐらい、まぁ長く掛ってから払いますから、それでこらえて下さい」という、その言われた。
 それを聞きよったら光男さんです、がですね、「もうもうあんたからもう貰おう」「あんたからはもういらん」って、て言うてからあぁ断りました」っち言うてから、昨日一昨日来てからお届けされるんですね。「もうほんなこと光男さん私あんたにお礼ば言うごたる」っち私は申しました。ね、それでもう先方も大変よろこっ、そりゃぁ喜ばれたろう、ね、一万円か、一万二千円ぐらいの、給料を貰われてですね、そしてその大学に行ってるんです。もう特待生だそうですから、学費はいらないんだそうです、ね。
 けれどもそれでもやはり、「私が悪いのだから私が払う」ってこう言う、けどもそれ聞きよったらもうこの人から貰われんという気がしてきた。ほれで「もう良かばい、もうあんた、もう払わんで良か」っち、と言うてその、まぁ言うて参りました」と言うて、そのお届けされるからです、もう私はああいう時に本当に、神様がお礼を言いなさるような事じゃなかろうかと私思うです。ね。
 もう椛目、椛目通いをしながら、「お前何を稽古しておるのか」と、「そげなん我情のことば言うて、我欲のことを言うて、自分がいつも自分が中心、自分が儲けさえすりゃよか、けど自分の我利我利のおかげだけは、求めておって、お前は椛目で信心しよる値打ちはないじゃないか」と言われる人とです、本当に椛目通いをしよる値打ちをです、こういう時に発揮する時が、本当に神様が「光男さん有り難う」っち言うてから、お礼を言いなさる時じゃなかろうかと私は思うた。
 私は本当に胸がいっぱいになった、「光男さん本当にどうも私あんたにお礼ば言うごたる」と、まぁ私には関係のないのだけれど、本当に日頃、やはり教えをお取り次ぎさして頂いて、私としてです、本当にいやぁ分かるところが分かっていきよるとこう、私は思うた。こげな馬鹿と阿呆になる事はないですね、考えてごらんなさい、ね、払うとは払うてから取るとは、取りきらんっち、まっだらしがない、馬鹿んごたる人、と例えば普通では言うでしょう。ね。
 ですからそういう場合、正直者が馬鹿を見るというのが、信心のない者の言い方なんですけれども、ここにお道の信心があるのです。馬鹿と阿呆で道を開けと、道を開くことはそういう事から、生まれて来るのです、ね。「鐘が鳴るのか  撞木が鳴るか  鐘と撞木の間がなる」と、ね、お寺さんのあの吊り鐘の音がです、ゴロォ~ン、もうそれこそ余韻を引いての、あの良い音色というものがです、鐘だけで鳴るもんじゃあないっち。撞木だけで鳴るのじゃないって、ね。
 本当にその鐘と撞木の間から、あの音色というのが出るようにです、ね、あいよかけよの中からです、あいよかけよの中から、中から生まれてくるところの新しい、おかげであり、味合いなのだと。昨日、高山さん達が親子三人、初子のお宮参りをさして頂いた。結婚そして妊娠、それこそお願いし続けてからのことであった。ところがお医者さんに、見てもらったところが、「これはぁどうも難産になるごたるから、子供だけ先に出さにゃいかん」とこう言われた。
 今何ち言うでしょうか、あの切開手術をするというわけです、母親と、そのお父さんになる、ヒデキさんと二人でお願いに出てきた。神様に私お願いさして頂いたらです、「そのままおかげ頂け」ということであった。まぁそのかわり、息子は大した信心じゃない、不信心ですけれども、それからまぁ一生懸命、ね、これで自分がお父さんになれるかなれないかの境だもんですから、もう一生懸命拝んでるわけ、もうっこうして一生懸命拝んで手がはずれんぐらいに一生懸命拝んでおる、ね。
 そして「安産のおかげを頂きますように」っち言うて、こうこうやりよってもう手がこうやってはずれんげな、あぁ私も若い時そう言う様な体験があるから「ほんなこっちゃんね」て言うてわろうたこつ「あんたがそがしこ拝むんならおけげ頂くばい」っち私は申しました。そして毎日参って来るんです、所がですね、里のお母さんが看護に行っておられましたんですけれども、あのまぁだそれこそなかろうと思うてから「ちょっと私は買い物に行くもんの」と言うて、行かっしゃった間に生まれとった。
 もうそれっこそ安産だった、お医者さんがたまがった。たまがったっち言うよりも、ふうがわるかったそうです、「そげん安う生んでから」っち言うごたる風でですね。そりゃやっぱお医者さんにも、手前がありますもんじゃから、難産っち言いきってござったもんですから。ね、そりけん、高山の方に電話かかってきてから、それこそ「ほんなこっちゃんの」っち言うてから、また参ってかけなおした、と言うぐらいにおかげ頂いたんです。ね、まそんなわけですからもう有り難うして応えんとですたい。
 して又それが良い子なんです。昨日私その子供を、昨日御神前に、こりゃあ私は、必ず初参りの時には、必ず私は御神前に、お供えするんです。ね、そして私がの、ヒデキさんと、その家内、家内が、ケイコさんっち言いますもん、二人に言うわけですもんね、「どげなものねヒデキさん、あんたがケイコさんばもらう時に、」まぁケイコさん、あのおやじが方はこげん細ぉまかですもんね、ほどがと、奥さんの方はこう体格の良くして、良かおなごです。
 それでもう「ヒデキさん方に良すぎる」っち、と言うてやっぱ奥さんもらわっしゃった」と言うてその、評判するくらいにあったんです。だから、「そげな風にあんた言われてから、そういう事が耳に入ってきた時にです、ね、まるきり親つ、しかとめのごたる、嫁子取りが立派なごたる風な言い方をするけれどもです、そげん時どげなん気色のするの」っち私が言いましたら、「そりゃぁやっぱ嬉しかですよ」っち(笑)、そりゃぁ嬉しかですよね、嫁子ん事誉められると、ね、。
 「ケイコさんあんたも同じ事じゃろうが」と、主人の事誉められりゃぁやっぱ自分の事誉められたごと、有り難い嬉しい、ニコッとしようごたる、「あぁそのあんたげん嫁さんにゃ美しか」っち、ね、「きたてりゃぁ優しい、これはあんた方には勿体無かごたる」っち、「どこが勿体無かの」っち言う者はおらんです。心でニコニコ笑いよる、嬉しかっち、で私昨日ここでも言うた。
 「こりゃもうあんたがん子供はちっと良すぎるばい」っち私が、「もう(?)良かとこばっかりとっとるごたる、器量もこいらしか」したら二人はやっぱ嬉しか風ごたるですもん、「親は器量悪かばってん、子供だけが器量よか」って言われて、親が腹かく者はおらんでしょうが。家内の事誉められりゃぁおやじが喜ぶ、ね、「だから高山さん、信心はそこよ」と私が言う、ね、これは家内だから、自分の子供だから誉められて、自分の事は悪う言われても、嬉しいのであるけれども。
 神心を作っていくというのは、隣の人が、誉められ、隣の人が儲け出すならです、それが喜べれる心なんだと。ところが隣の者が儲け出すと腹ん立つ、それが人間の心なんだと、そういう浅ましい汚いです、人間だから当たり前と言わずに、もう本当に自分という者はどうして浅ましい人間じゃろうかと、隣が儲け出しござりゃぁ、隣に倉がたてれば、こちら腹っ、腹どん立つるぐらいなことでは、おかげは受けられんぞと言うですね、自分で思うのはいかんですそげなん本当に。ね。
 そういう心に取り組んでです、本気で改まらして貰い、磨かしても頂きよりますとです、人の幸せがです、人が誉められなさる事が嬉しゅうなってくる、有難うなってくる。ここに焦点をおかなきゃいけない、と言うて私昨日お話させて頂いた。昨日これから歩からせて頂きましたけれども、まぁだ余裕がある。だから私あの近所にですね、植木屋回りをしました、でからあちらの娘が案内でずうっとその近所に、えぇ八十いくつになるおじいさんが盆栽作りの名人がおられる、沢山なその盆栽を作ってありました。
 そこで私聞かせて頂いた話しなんですけれども、もう見事なその梅が、こうすだれ梅が、作ってございました、「どうしてこげん花が咲くですか」って私は聞きました、「どうしてまたこんなに長くさがるですか」って、ね、芽が出りゃ刈られ、葉が出りゃつまれ、「芽が出りゃつまれ  葉が出りゃ刈られ  それでも茶の木に花が咲く」と、都都逸の文句です。ね、芽が出りゃつまれ、葉が出りゃ刈られる、それでも茶の木に花が咲く、信心さして頂いておりますとですたい。
 本当に自分の、血に肉になっていきよる事が分からせてもらうんです、自分が有り難うなって行きよるのが分かるのです。ね、なるほど金光様の信心しよってどうしてあげん貧乏しなさるじゃろうかと、どうしてあげん難儀が続くじゃろうかと、ということになってもです、やれ痛や今みかげをという心なんです。めぐりのお取り払いを頂きよるんだと、芯から、根っからのおかげを頂きよるのだと、井戸は清水になるまでと、本当に井戸だれいをさして頂きよるんだと言う様なことが実際に分かってくるから。
 そのことも、また有り難いのだと。芽が出りゃつまれる、葉が出りゃ刈られる、それでも自分の心の中に、言わば茶の花が咲いていくように、喜びの花が咲いていく事が楽しみなのだと、有り難いのだと、ね、そのおじいさんが、そういう意味の事を言わっしゃった。いわゆるあれを、一遍ぼんぶらぼんに切ってしまわにゃいけません。私はあれはまま長いのかと思いよったら、全部切ってしまうんですね、花がまだ勿体無いという時分に切ってしまう。ね。
 次にです、これはもう本当に極秘の、もう私にこれは秘伝だと言うて、私に教えられたんです。ね、まぁ大体いや、ほんなこと秘伝じゃけんで私はそげん、簡単に教えられんとですよって、ね、それをですね、もうちょっと尾篭な話しですけれどもですね、その大便の濃ぉいかとこを、松に少しばっかり、鉢の中に入れるそうです、もう普通の物だったら枯れ、枯れてしまうような、濃いい大便を、もうこれがコツと言われます、ですからもう匂いがある間は、やっぱ気になるがた外に出すとこう言われました。
 また又上から白い砂をかけときゃよかけんでとっち言うちから、まぁ言われました。ね、もう他の植木だったら絶対枯れるっち、そういうことしたら、野菜だって濃いいとこばっかりかくるなら枯れるです。ね、私共が信心さして頂きよってもです、ほんにもうそれこそもうへとへとするような事があるんです。例えばうんなら私で言うならです、もう言うなら、これだけあの時分に思いよった、ね、一家中上げてこれだけの信心させてもらいよるのにです。
 どうして、あげん貧乏せっしゃらんなんじゃろうかというごと貧乏、さして頂いた。ね、外地から引き上げて、裸で帰ってこんならん、ね、ここでこれがいわゆる生活の、その元になるところの、酒の配給をしとりましたが、それもとりっ言わば取り上げられた。続いて、兄弟三人もの、葬式をしなければならない様な事が次々と起こった。もうほんにへとへとするごとあるです。ね、けれどもそう言うたんべんに、私は必ずおかげを頂いてきたという事です、他の問題はもう、それで倒れて仕舞う様な所をです、ね。
 うみのりだからこそ、それを受け止めたんです。ね、「信心辛抱梅の花」と、ね、どう言う様な例えば、そういう大きな、難儀な事があってもです、ね、目の前が真っ暗になるような事があってもです、それを根肥やしにしていく。もう一つ、コツを教えられた、と言うのはです、もう水を欲しがっておることが分かると、分かるって、もっ植木が、だから他の植木には、水をやってもです、梅のだけにゃぁ十日に一遍しかやらんって言われました。ですからもう半死半上しなければ、こんなに沢山の、花は付きません。
 こんなに長く枝は、下がりませんって言われました。「桜の花の信心より、梅の花の信心をせよ」と教祖の神様が仰るが、これだなと私思うた。話しを聞きながら、ね、これも皆さん胸に手を置いてみれば分かる事があるでしょう、椛目も十五年間おかげを頂いておると、けれどもそげん、人が言うごとパーッとしたおかげを、は頂かんのだけれどもです、確かに必要な時には必要に、お恵みの水を下さっておるということ。
 もそれには何とも言えん、有り難いんだけれども、どうしておかげ頂けんだろうかと言うごとあるけれども、神様の思いとしてはです、沢山の花も付けさせたい、沢山の実りも、頂かせたいというのが、親心であることを分からにゃいかんですね、そう言う事の中から、「人間は万物の霊長であるから万物を見て道理にあう信心をせよ」と仰る、椛目に御神縁を頂いておる皆の人が、言わば梅の木のようなもんなんだ、ね。
 ここのところの道理が分かったら、成程他の者には水を与えられとるけど、自分だけには、何故与えなさらんかと言わずにです、神様の言わば、神愛を悟らん訳には参りませんって、いわゆる私の過去というのは、確かにそれ今申しました様な事でです、おかげを頂いてきておる、ことを自分で感じます。ね、だから私はそういう踊りをです、松ハメのバックにです、そういう踊りを踊りぬかせて頂きたいと思う、ですからそれに付いて下さる。皆さんの踊りもやはりです、そういう撰に沿うた所の踊りをです。
 皆さんが体得して下さなければならん、ね。初代が先代が、どんなに素晴らしく偉かってもです、ね、偉かったからと言うてです、言わばその子供が、又その教えを受けておる誰彼がです、言わば皆がおかげを頂いておると言う事じゃ」ないでしょうが、成程その舞台で踊るのは、大坪総一郎意外には無いのだと言う事なんです、ね、なら桂松平先生の流れをくんどる教会、どれだけあるか分かりません、ね。ですから本当にその舞台で踊らして頂くのはです、私一人のための松ハメではありません。
 桂松平先生の流れをくんでおる皆の、桂松平先生なのです、けれどもバックが素晴らしかっても、踊りが下手だったら、やはり見物じゃないのです、ね、バックは桂松平先生であってもです、ね、ここで踊る踊る踊りが、素晴らしくなからにゃならん、同時にそのリズムが、素晴らしゅうなからなければいけない。リズムに乗ってそれはどこまでも、対和する心なのである。いつも自然のその働きといつも、ぴったりしておるのである、そこから私はです、あいよかけよの道というものがです開けてくる。
 その踊りの内容を、私昨日永瀬さんとこで頂いた御理解を持って、皆さんに聞いてもらったんですけれどもですね。そういう信心がお互いの信心に、身に付いていくならばです、もうおかげではありません、これもう間違いなしに御神徳です、お徳です、ね、そのお徳こそがあの世にも持ってゆければ、この世にも残しておけれるというものなのですから、折角信心さして頂くならです、そこんところを目指したところの、信心にならなければいけんと思うですね。
     どうぞ。